さて、新年、新年、と世の中はお正月ムードですが、東洋の暦(旧暦)から見ると、今月1月は、年の最後のしめくくりの月となります。東洋では、月の満ち欠けと暦が合致していますから、釣りの好きな人などは、旧暦の方に愛着があるかもしれません。
四柱推命や気学など、東洋系の占いを愛好する人でしたら、今月が、一年の運気の最後の月にあたります。昨年の運勢は最高、と雑誌に乗っていて、実際に運気のよかった人は、まだ1カ月のチャンスがあります。
一方、西洋占星術での「今年の運勢」は、木星の位置がどこの星座にいるか、で見るのが通常です。
1998年の今年、木星が十二星座の最後の宮である、魚座に入るのが2月6日。くしくも、旧暦の正月である2月4日とほとんど同時期です。同じように、西洋占星術で、昨年「最高の年」ともてはやされた水瓶座の人などは、まだまだ今月いっぱいは、チャンスの年です。また、水瓶座の人は、昨年から大きな運気の転換がありましたから、1998年2月以降も、この調子はまだ5年ほど続きます。水瓶座さん、よかったですね。
逆に、昨年末から、雑誌などで「1998年は十二年に一度のラッキーな星座」と期待されている魚座のみなさんは、まだまだ予断はゆるせません。本当に木星のラッキーな現象が出始めるのは、来月2月6日から。それまで、幸運はおあずけというわけです。
「1998年、今年の景気はどうなる?」
占い好きの人でなくても、気になるところですね。今日は、西洋占星術で、1998年の社会動向の情報をお伝えしましょう。
昨今は、アジア金融危機、景気の低迷、株価の下落、失業者の増加と、先の見えない混迷状態が続いています。西洋占星術には、社会占星術(マンディンアストロロジー)という専門分野があり、惑星の配置から、社会全体を占っています。
おおまかに見ると、今年、クローズアップされるのは、『医療・福祉・宗教・海洋・原油』という分類ができます。これは、一年の運勢の趨勢を決める「木星」が、魚座の宮に入ることから予想される事象です。
また、「木星」と同じく重要視されている星に「土星」がありますが、今年はその「土星」が長く居すわっていた牡羊座から6月9日に抜けるために、先の見えない、目標の持てない社会状況からは脱却できるでしょう。
それは、同時に、この2年ほどプレッシャーで不調だった牡羊座の人にもよい影響が現れ、重圧からのがれて、のびのびした気分になってくるという兆候です。牡羊座さん、今年後半が楽しみですね。
ただし、社会の全体の状況からいえば、「経済を意味する牡牛座」に「土星」が入るために、現在の不況はますます加速するということに他なりません。今年は残念ながら、景気低迷はどん底状態。金融・不動産・建設・美容・宝飾・アパレル関係の関連会社にとっては、試練の時になるでしょう。また「まさか」と思われるような大手企業の倒産も予想されます。
もちろん、これは、おおまかな景気判断に過ぎません。専門的な社会占星術では、その他の惑星の角度や日本のホロスコープから、詳しく各業界の動向を割り出したり、月々の動向を判断していきます。
東京は雪です。みなさん、お風邪など召しませんように!
今日の夕刊フジのテーマは、造園、庭造りなどについて、お客様からご相談の多い『庭木』についての情報です。
最近は風水を利用して庭造りをしたいという方が増えています。夕刊フジの記事にも述べているように、植物には陰木、陽木という二種類があります。通常、庭木としてすすめられるのは、陽木といわれる『松竹梅』に代表される種類のものですが、各種の陰木、陽木の見分け方は、文献によって多少異なっています。
家庭内や喫茶店で、よくみられるインテリアに、ツタ、ブドウがあります。これは、多くの文献からみても、陰木の種類に入っています。ただ、陰木だから、家の中にあると単純に不幸になるとか、家が陰気になるとか、そういうことではありません。
陰陽のバランスをうまく活かすのが、風水や家相の技というものです。
つまり、陰の気には心身をリラックスさせる作用、日々の反省を促し、自分をみつめなおす気が備わっています。ですから、ツタやブドウのインテリアの多い部屋は、くつろぎの部屋に最適、というわけです。ストレスの多い戸外から帰ってきて、落ち着きを取り戻し、充電するにはもってこいの部屋というわけです。
喫茶店やレストランで、こういう陰相の店をよくみかけますが、そうした店は、お客様にゆっくりとくつろいでもらいたい、安心してリラックスできる時間を与えたい、という目的ならば、成功しているわけです。たいてい、そういう店は、ライティングの光量を落として、陰相を強めています。
家中のすべての部屋に、ツタやブドウのインテリアをほどこしたり、庭や壁に陰木を植えたり這わせるのは好ましくありませんが、寝室やトイレなど、くつろぎの部屋に陰相をもたせることは、大切なことです。
陽木は、玄関や、家族の団欒に使われるリビングに置いてください。
前向きな姿勢、向上心、コミュニケーション、笑顔など、陽の部分が家庭内で増えることでしょう。
今日の夕刊フジ『マダムマーシの風水開運カルテ』のテーマは、リストラ対策。
昨今はどこを歩いても、不況不況と12月のクリスマスソングのごとく、不況和音が響いています。
……とまあ、くだらないダジャレはさておいて、本日は、リストラの本質を、まず考えてみましょう。
リストラをされる人には、やはりリストラされやすい要素があります。
●会社にとっていてもいなくても、どうでもいい人、
●給料が高くて、それにみあった営業成績の上がらない人、
●リストラしても、文句をいわないだろうと思われる人、
●会社内で調和を欠いている人、
●バックに有力者がいないこと、
などが、あげられます。
中国の思想体系である陰陽五行説でわかりやすいように、リストラの事象を自然現象に例えて説明します。
こういう、リストラされやすい対象者は、植物に例えると、
●大地に根を張っていない人、
ということができます。
引っ張ったら簡単に抜ける雑草であり、雑草でないとしても、希少価値のない草木、存在が迷惑な草木です。
何か抜かねばならなくなったら、それから排除されるのは、当然のことです。
多少根っこが張っていて、なかなか抜けない草木なら、たとえ雑草でも、よほどの害がない限り、抜かれることはありません。
根は「大地」の中で成長します。夕刊フジの記事で、「大地の気」を取り入れることをすすめているのは、そのためです。
この記事の元になっているのは、中国の占いの聖典である『易経』の中の八卦の中のひとつである、『坤(こん)』の項目です。坤は五行でいう『土の気』の中でも陰の土にあたります。天に対する地であり、広義の意味で、大地、地球、現世という意味も含まれます。
利牝馬之貞(子馬を育てる母馬のように、集団の中で従っているとよい)
先迷後得主(あせって先を急げば迷うが、じっくり待てば、よき指導者が現れる)
などの教えは、現代でもわかりやすいものです。
今回は、この中の一文である西南得朋、東北喪朋(西南に友を得、東北に友を失う)
を応用してみました。会社内の西南のデスクにいる人に話しかけ、東北のデスクにいる人は避けるように、としたのは、ここからとったものです。
(次回に続く)
西南得朋、東北喪朋(西南に友を得、東北に友を失う)
これが、『易経』の言葉にあることは、先日書いた通りです。
そうはいっても、我々現代人から見ると「なんで西南が良くて、東北が悪いの?」という声が聞こえてきそうですね。
『易経』は殷代(紀元前十八世紀〜十二世紀)には、『卜(ぼく)』という形で、体系化されていました。古代人の『方位・地理』に対する考え方は、現代人の考え方と、まったく違います。風水とは、もともと、そうした古代の『方位・地理』の考えを連綿と現代に伝えるものです。
古代の考え方で、『西南』というのは、たんなる方向ではなく、柔軟、従順、貞節、包容力の気が発生する場所であり、大地の性質をあらわすものでした。
逆に『東北』はというと、五行でいうと、『陽の土気』にあたります。同じ土の気でありながら、西南(坤)の陰の土気に相対しており、意味としては、頑固さ、固さ、止まる、到達する、などをあらわし、大地に対する『山』をあらわします。これは『艮(ごん)』という言葉であらわされます。
これを
西南得朋、東北喪朋
の意味に置き換えると、『柔軟、従順、貞節、包容力』の性質を持つ友人の意見を尊重し、『頑固さ、固さ、止まる、到達する』の性質を持つ友人は、縁遠くした方がよい、という教えになるわけですね。
西南(坤・大地)の性質は、忍耐力や持久力をやしないますが、東北(艮・山)の性質は攻撃的で、これが極限に達すると環境の変化を引き起こすとされています。
栄養学的にも、「大地」の中で成長する、ゴボウやニンジンなどの根菜類が、持久力や忍耐力を養うのは、よく知られていることです。
女性の忍耐強さも、この西南(坤・大地)の性質とされています。
リストラというのは、自然界でいえば嵐であり、風雨に耐えるには、大地の性質を活用するのが一番よいというわけです。つまり、ゴボウやニンジンなどの根菜類を食べるというのも、風水によるリストラ対策に通じるんです。
ただ、リストラの嵐をきっかけに、自分がその会社に向いていないことを自覚する人も多いと思います。もし、自ら新天地を求めて転職を希望するなら、東北(艮・山)の性質を活用すべきでしょう。
節分にちなんで、今日は鬼についてのお話です。
よくたずねられることに、「鬼門というのは本当にあるのか」、という質問です。鬼門については、中国の最古の地理書である「山海経」に見られますが、日本では独特の意味あいを持って今日に伝えられています。
私たちが日頃、「鬼」といってイメージする姿は、唐代(618〜907)の呉道子の地獄絵図が元になっています。私などは「泣いた赤鬼」の童話を連想してしまいますが、鬼にはすべて角があり、牙があり、虎のふんどしをしている、というのが定番ですね。これは十二支の丑と寅の連想から、想像して絵にしたものでした。
なぜ、丑と寅から鬼となるかというと、これが鬼門というものの始まりとなります。
古代の人は、人の死を厳粛に受け止めていました。人は死んで肉体は滅びるが、魂は残ると考えていました。現代でも、死んだらすべて無になる、と考えている人は少ないと思います。そして、魂はふたつの種類、即ち「魂(こん)」と「魄(はく)」に分かれると考えられていました。魂は天に昇り、魄は地に残る、これもまた霊魂を陰陽にあてはめる中国の独自の思想に結びつきますが、ともかく、その魄の方が鬼(キ)になると信じられていたのです。
「山海経」には、東北の大きな桃の枝の下に門があり、そこから鬼が出入りして悪さをするようになった、と記述があります。これが鬼門の原典です。「山海経」は、荒唐無稽なおとぎ話に見えますが、科学が発達し正確な地図が読める現代人とは、感覚的に違うことを考慮に入れて読むと、興味深い、古代の『方位』への考え方が見えてきます。
日本では、鬼が「キ」でなく「オニ」として発達しました。隠(おむ)と同一視され、オニは歴史上(正史)から隠れた存在の勢力を意味し、恐ろしい、忌むべきイメージを与えられました。日本書紀にも、人に害を与える存在として登場しています。
先週の鬼門の話が途中まででしたので、続きを書きます。もうすこし、更新をまめにしなければいけませんが、サボってしまいました。すみません。
現在、鬼門というのが取り沙汰されるのは、家相に限られています。鬼門の玄関は縁起が悪く、なるべく避けるようにいわれるのは、鬼門が霊魂の出入口であるという論理からきているわけです。中国から直輸入された風水学では、鬼門に関して『凶』という考え方はありません。『鬼(オニ)』が、日本で独自の文化を育みましたので、そうした齟齬が生じてしまうのです。
日本には各地で、とくに東北地方で西北信仰というのが昔から存在しています。これは、日本が持つ地理的条件とおおいに関係があります。西北というのは、日本にとって、深刻な冷害をもたらすシベリアからの寒風が吹いてくる方角でした。
西北という方位を恐れて信仰したのも、こうした冷害による凶作を西北の神の仕業と考えたわけです。自然ななりゆきでしょう。それと同じくして、東北方位の関東圏、東北圏では、歴史的に京を中心とした中央政権に反抗する反権力の勢力、つまり『鬼(オニ)』たちが活動し、朝廷を脅かしました。北東から南西にかけて地勢が延びた日本にとって、西北には作物を司る神がいて、東北には政権を脅かす『鬼』がいるという定説ができたのは、こうした地理的条件からだと思われます。
そうした地理的環境が作用して、鬼、鬼門の文化は日本でさらに発展しました。中国の魂鎮めの儀式である『鬼やらい』の風習が結びついて、現在の節分に豆をまく風習が生まれました。宇多天皇(867〜931)の頃に、鞍馬山の鬼を炒った豆で追い払ったという故事からきたとされますが、風習が神事として定着したのは室町期。さらに、庶民に定着したのは、江戸期とされています。昔は年に一度の行事でなく、月の節目ごとの行事でした。
鬼門に関しては、こういう日本独特の歴史的背景が影響していますので、まるで迷信として扱うべきではないと思います。長年の間に蓄積された『東北方位は鬼門』という記憶は、私たち日本人のDNAに強い影響をもたらしているはずです。
そういう意味で、私は『鬼門』に関しては家相において注意すべき方角であり、現在の気学といわれる家相学を支持しています。
鬼門に関してはここまで。ここからは寅の話です。
とてもマジメな寅のお話
2月。旧暦(中国・日本で昔から使用されている暦)でいえば、お正月。今年の特徴は、なんといっても『寅』年ということでしょう。寅ときいて、みなさんは虎を連想するかもしれませんが、十二支の動物はたんなるシンボルであって、虎そのものとは関係ありません。
しかし、俗説として『寅』年は荒れる、といわれています。寅年に、激しい社会現象や異常気象が多いともいわれます。それは猛獣である虎のイメージから来た迷信ではなく、本来の『寅』の意味から生まれた風水の一説ともいえるものです。
本来の『寅』の意味は、季節でいえば春の始まりである2月。時刻でいえば夜明け前(午前3時から午前5時)を示しています。方位でいえば東北、人間でいえば、生まれる前の胎児、植物でいえば、まだ地表に芽を出していないが、芽が地中にある種の状態、ということができます。つまり、『物事が始まる直前の、やっと形が定まり始めた状態』を示しているわけです。
それゆえに、混沌とした状態、『荒れる』といわれるようになったわけです。しかし、安定した事業には混乱をもたらせる『寅』も、いまふうの業種で例えればベンチャービジネスといった意味を持ちますから、新しい分野に乗り出すスタートとしては、最適の年になるということです。
昔の人はこうした『寅』の意味をよく知っていましたので、何か物事を始める時は『寅』の時刻から着手したり、寅月、寅日をジンクスとして使っていたものと思われます。かの有名な、太平洋戦争の真珠湾攻撃は、寅日(昭和十六年十二月八日)に開始しています。
『ワレ奇襲ニ成功セリ』という意味の打電『トラ・トラ・トラ』は、午前三時二十二分にされていますから、寅時です。「虎・虎・虎」でなく「寅・寅・寅」になぞらえて、当時の軍事関係者が、寅のジンクスをもって、戦争を開始したことがわかります。
時代は変わりますが、剣豪、宮本武蔵も、兵法の指南書『五輪書』を書きはじめるさい、『寅の一てんよりしるすなり』とわざわざ書きつけています。(一てん、とは水時計の単位)五輪書で武蔵は、『役に立たないことはしないこと』と指南しているくらいですから、当然書き残した日付や時刻にも、武蔵独自の極意や心意気が反映されているわけです。
本題からはそれますが、武蔵は五輪書を十月十日に記しはじめています。十月は『神無月』です。日本中のやおよろずの神様が、みんな出雲に集会に行っちゃう月ですね。これも『神仏は尊し、神仏に頼らず』という五輪書の指南と一致していますから、武蔵が暦にも十分意識して、五輪書を書き残したことがわかりますね。
これは、すなわち武蔵が兵法の極意として、寅の時刻より、物事をスタートさせるべきだという、私たちに残したメッセージに通じるものです。さて、今年は、十二年に一度の寅年寅月寅日寅刻が訪れます。それは2月12日午前4時前後です。みなさんも、この『寅』にちなんで、さあ、何かをスタートさせてみましょう!
オリンピックもたけなわ。明日の夕刊フジのテーマは、勝負運です。本番に強い人、弱い人、というテーマで、どのようにすれば本番に強い人になれるか、を風水的にアドバイスしてみました。
それにしても、清水選手、里谷選手、船木選手、原田選手などの活躍は、うれしいですね。期待というプレッシャーに打ち勝った清水・船木・原田選手と、期待はされてなかったけど、オリンピックという大舞台で、自己ベストの演技をした里谷選手。彼らの勝負強さのキーワードは、風水的に見ると『西北』にあったようです。
風水で勝負運を表すのは、南と西北です。南には王者の気質(名誉とプライド)が、西北には父親の気質(責任と義務)が備わっているという考え方からです。このうち、努力とプレッシャーをともなうのは、南でなく西北です。夕刊フジでは、ギャンブルなど、努力をともなわない勝負運を書きましたので、南と東を使いました。
清水選手や里谷選手はお父さんを亡くされていますが、亡くなったお父さんが精神的な支えになっています。原田選手も、まだ独身だった前回オリンピックではプレッシャーに弱いところを見せましたが、今回は『パパはやったよ!』の名台詞に象徴されるように、父親(西北)としての責任感が今回のメダル獲得につながりましたね。
お父さんを亡くされているふたりに関しては、ちょっと見ると『西北の気を失ったのでは?』と考えがちですが、違います。人にしろ、物にしろ、お金にしろ、失うことは、二つの側面があります。ひとつは失ったことそのものによるデメリット、もうひとつは、失ったもの(人)の大きさや質や価値など、意味に気づく、「知る」ということのメリットです。
子供の頃からずーっとお金持ちの人が、お金のありがたみを知らず、考え方そのものも狭くなるのは、失うことのメリットを体験できなかったからですね。一国の王子に生まれたお釈迦様は、何不自由ない生活をしていて、すべてを捨てて出家しましたが、それは失うことのメリットが、人間性にどれだけ大事かを悟り、自ら捨てたわけです。えらい人は違いますね。私などは凡人ですから、預金通帳が赤字になるとユーウツになっちゃいます。
さて、ふたりの選手に共通しているのは、亡くなったお父さんに厳しく鍛えられていたことです。西北の気が非常に強かったわけです。気っていうのは、大気と同じですから、澄みきった高気圧の状態だった。そこへ、亡くなられた。ショックと同時に、父親の偉大さを知った。気圧の落差が生まれて、暴風雨を巻き起こした。それだけ、西北の気が強くなったということです。逆境に強く、プレッシャーに強い精神力はそういう、『気の幅の厚み』から生まれるわけです。
一方、南は名誉運をともないますから、目立ちたい、偉くなりたい、トップに立ちたい、ライバルに勝ちたい、そういう意味での勝負運になります。南は王者の質ですから、そもそも努力やプレッシャーとは無縁なのです。
ギャンブルや恋愛では、この南の勝負運が左右してきます。東は行動力ですから、勝負に参加しようという積極性を養います。南と東に向いて寝ることは、日常的に勝負運を強める風水を実行することになります。寝ている間に勝負運と積極性が養われます。
引っ越しをして、寝る方向が変わって、なんとなく運が変わってきた、という方多いと思います。西に向いて寝ると、交際運と金運が強くなり、北に向いて寝ると学術の向上が期待できます。
今日の夕刊フジのテーマは、「彼女を色気のある女にするには」です。一般の読者の方に楽しめるように、ぐっとくだけた内容になりましたが、ここでのポイントは『桃』。桃という食べ物は、とくに女性にとって、美と健康とお金をもたらす風水パワーに満ちた食べ物ですので、桃の節句も近いことなので、紹介してみました。
中国で、人気と実力と伝統、すべてにおいて、最高位の女神といえば、『西王母』です。
西王母は、天界で、『食べると不老不死になる』といわれる桃園を所有しているといわれます。西遊記では、孫悟空がこの桃園の桃を食い荒らしたので、孫悟空は不老不死となったというくだりがあります。桃源郷といわれるユートピアも、桃の不老不死や邪気を祓うパワーのおかげで成立するわけです。
西王母が文献で最初に登場するのは、先日も『鬼』の話で引き合いにした『山海経』です。『山海経』は、中国最古の地理書で、そこには現代のポケモンに負けないほどの多種多様な怪物たちが登場するのですが、その中で西王母は、西の玉山に住み、女の顔と豹の尾、虎の歯を持った怪物として扱われています。やがて、それが西の崑崙山(こんろんざん)に住む、不老不死を司る絶世の美神として、信仰を集めていくことになります。
漢の時代(BC200年〜AD200)は、ペストが席巻したこともあり、この西王母信仰は盛んになりました。というのは、この女神は疫病と刑罰を司る神といわれていたからです。西王母のお守りとして、桃の木や護符を玄関に飾って疫病避けにしました。
桃には、邪気や疫病を祓うパワーがある、という伝承は随所に見られます。
漢の武帝が、西王母から三千年に一度実るといわれる桃と何冊かの口伝書と護符をプレゼントされたという『漢武帝内伝』の伝承に代表されるように、西王母は、その後もさまざまな文献に登場していきます。
また、中国最古の詩集である『詩経』にも、『桃夭夭(ようよう)たり』と成熟した女性を桃に例えて結婚を祝福する詩にうたわれています。
西というのは、太陽の沈む方位として、特別な意味を持っています。東洋の占いでは、西方位を『兌(だ)』という卦(か)で表し、喜びとか、女性という意味を持ちます。西王母は時代が進むにつれて、金母ともいわれ、その住まいが豪華絢爛になり、宝玉や冠などできらびやかな世界といわれるようになっていきます。風水で、西が富や財産が集まる方位とされるのは定番ともいわれています。仏教の伝承からも、西には西方浄土といわれる『極楽』に阿弥陀仏が住まわれて、美しい世界が広がっているといわれます。『西=快楽=女性=桃=財産』という考え方が、古い時代から成立していたことがうかがわれます。
現代では、雛祭り=『桃の節句』ですが、江戸時代まで三月三日は『上巳の節供』といわれ、とくに桃とは関連づけられていませんでした。中国では、とくに三月三日を祝う風習はありませんが、一部の地域で西王母の誕生日として、祝祭があるようです。『桃の節句』といわれるようになったのは、日本でも、桃=女性のイメージが定着していたからでしょう。
日本神話では、イザナキの命が、黄泉の国から脱出するさいに、死霊たちに三個の桃を投げつけ、撃退したという話がみられます。これも、読み方によっては、身代わりに三人の女性を死霊にささげた、と読めないこともありませんね。同じように、『桃太郎』も古い伝承ですが、桃から生まれた桃太郎、というのも、女性から生まれた女のように美形の少年、と読むこともできます。古代中国の文献に『桃は百鬼を制す』とありますので、桃太郎は鬼退治をしても、何の不思議もないわけです。
このように、桃は果物の中でも、最も女性と関連深い、神聖な食べ物です。女性のみなさん、これからの季節、桃をたくさん食べて、魅力ある女性になろうではありませんか!
今日の夕刊フジでは、明日の雛祭りにちなんで、人形での厄落しのやり方を紹介してみました。そもそも、雛祭りというのは、古来からのふたつの風習が合体されて、今日の女性の祭りになったものです。
ひとつは、平安時代の貴族の女性の遊びだった、「ひいな遊び」。
もうひとつは、古代中国から渡った呪術の一種である「替代(たいたい)」。
このふたつが室町期に形を整え、江戸期になって、五節句という大々的な行事として盛んになったのが、現代の雛祭りです。
この後者の替代の術は、紙の人形に疾病を移して、身代わりにさせる術でした。今日の日本に残っている行事に、「流し雛」という風習があるのをご存じの方も多いことでしょう。雛祭りや正月に、人形を川へ流す風習です。日本では厄落としのための行事として、古くから定着しています。
夕刊フジでは、災難よけのために、紙の人形に顔を描いて、それを身体になでつけて、息をふきかけて川へ流す方法を紹介しています。これは神社での厄落としの方法と同じです。厄落し用の人形を見たことのある人はご存じかと思いますが、この人形の特徴は、口がありません。顔そのものがない場合もあります。このいわれは、中国の『魏氏春秋』の話が元になっています。
「杜畿(とき)という人が、ある日不思議な童子(どうじ)に出会った。童子は、まもなく杜畿が死ぬことを宣告した。杜畿が命乞いをすると、「今後、いっさい口をきかない」ことを条件に、童子に命を助けてもらった。二十年後に、思わず言葉を発した瞬間、杜畿は死んだ」
こうした伝承が、厄落しの人形に口を描かない伝統となりました。
そもそも『口』は食物が入ったり、言葉を発したり、息をしたりする器官として、『生きていること』そのものの象徴です。『こけし』も、口がなかったり、極端に小さかったりするものが多いことはご存じでしょう。これはこけしが、『子消し』であり、昔多かった『口減らし』のために殺した嬰児の代わりとしての玩具で、同様に、雛人形の口がおちょぼ口なのも、自分のために災難を背負ってくれるための「実は死んでいるが、生きているように見せかけた形代(かたしろ)」を起源としているためです。
厄落とし以外の呪術に使われる人形、例えば『丑の刻まいり』などに使われる人形は、古くは奈良期の遺跡から出土されますが、ちゃんと口が太く描かれています。この場合の人形は、現存している人に災難を与えるための「生きている形代(かたしろ)」としての意味をもつ人形だからです。
今日の夕刊フジのテーマは、今月の金策の解決法。最近は、世相を反映して、お客様のご相談も深刻です。とくに決算期を迎えて、進退を迫られる方々も多いようです。そこで、今月、金運ポイントとなる『東方位』にスポットを当ててみました。
気学では、金運を示す星として、『八白土星』や『六白金星』『七赤金星』をあてはめます。個々人によって、これらの星は相性があり、上記の星と相性の悪い人もいるのですが、夕刊フジでは、なるべく多くの方々に当てはまるように、「星の長所」をクローズアップしてご紹介するようにしています。
それで見ると、今月は東に『八白土星』が巡っています。加えて年運には『九紫火星』という名誉運を表す吉星が巡っています。これは、金運を得るのに絶好の組み合わせで、多くの方々にとって東方位が吉方位としてはたらくチャンスの月になります。また、西洋占星術で見ても、東の空を示す位置に、活発な運気を示す吉星である太陽と木星が運行していますから、今行き詰まっている人にとって、今月東にアプローチすると、開運の可能性が高いのです。自宅や会社を出る時は、まず一歩でも二歩でも、東に向かって歩いてから出掛けてみてください。
この『八白土星』という星は、易でいうと『艮(ごん)』の卦(か)に当たります。私は個人的に、鑑定をしていく中で、『艮』のパワーはかなり強力だな、という感じがしています。それは、『艮』が、これまでに鬼門や寅の話の中で説明したように、日本では『艮=東北=鬼門』の特殊な意味を持っているからだと思いますが、五行でいう『陽の土』すなわち『山』としての作用が、なかなか活発にはたらくからです。
とかく『艮』は、『ため込む性質』を持ちます。しかも、しぶとく頑固です。必要以上にため込むので、それを遺産として後世に残す意味合いから、『相続』の意味もあります。家相や風水のご相談で、後継者に悩む方に、まず『鬼門方位』のアドバイスをするのはそのためです。
現代の世相から見ても、どんなに庶民が苦しんでいても、税金は大手銀行にばかり集まっていますが、『銀行』の銀の字が『金』と『艮』で構成されているのに気づきませんか?
つまり、そもそも銀行が、『世の中のお金を円滑に回していく機関』でなく、『必要以上にお金をため込もうとする機関』であることの証明です。江戸期の造幣局だった『金座』『銀座』のうち、金座が消えて、銀座だけが日本一のリッチな繁華街として繁盛しているのも、『艮』の金運パワーを示す、興味深い一例だと思っています。
なんだか、語呂合わせのような、へんな理屈に思う人もいるかもしれません。易学はシンクロニティの体系化ですので、こういう理屈が成り立つわけです。「じゃあ、銀という名前のついた人は、皆、しぶとくて、金持ちなのか」、といわれると困りますが、占い的にいうと、「そうした資質を十分に持っている」とお答えしておきます。
『名は体を表す』といいます。この諺を、迷信だという人はいないと思います。名前はその人、その会社をあらわすシンボルです。みなさんは、姓名判断というと、字画を数えて、計算して名前を見る方法をご存じだと思いますが、本式の姓名学では、数だけでは判断しません。
姓名学では、文字霊(名前の文字中に秘められている素質)や陰陽五行を、字画以上に重視しています。とくに易卦に関連した文字には、ユング心理学でいう「(漢字文化圏特有の)普遍的無意識」が記号化されていますので、個々人の名前や会社名を鑑定する時、文字の中に隠された資質がひとつのポイントとなるのです。
何のことやらわからない、とおっしゃる方にはすみません。ちょっと難しかったですね。簡単にいうと、日本には『艮』の字が名前のどこかに付いている人も少なくありません。この人たちに共通する資質として、『ものを集める、頑固、しぶとい』などの特性があると思っていいのです。自分の持つ『艮』の性質のパワーをうまく使ってください。きっと開運のヒントになりますよ。
奈良のキトラ古墳の調査がすすんで、発見がありました。まず『玄武』が確認され、続いて『青龍』『白虎』もカメラに映し出されました。星宿図(天体の運行図)もあったそうです。七世紀後半から八世紀初頭と推定される古墳ですから、古代日本史の重大発見ですね。
さて、これらの、発見された図は、それぞれの方位を司る四神といわれる神獣です。白虎 の絵、というと、私なんかは『一休さんのとんち話に出てくる屏風絵の虎』みたいなものを連想します。ところが、この白虎は、顔はたしかに虎みたいにも見えますが、まるで龍 のような長い肢体と手足をしています。玄武もまた、蛇と亀がからみついた姿をしています。これらは、すべて想像上の動物です。
青龍が東、白虎は西、玄武は北、朱雀は南、を表すことは、最近は風水を知らない方でも よくご存じです。しかし、これに黄龍を加えて五神とする説があるのは、意外に知らない方も多いみたいですので、今週はこれをとりあげてみました。 黄龍の司る方位は、中央。黄龍の五行は、『土気』に当たります。中央は四方をたばねる中心的存在であり、特別な部位です。家相学では、一般の家の中央に階段や中庭があるのを嫌います。中央の気が、どっしりとしてないと、家がばらばらになってしまうからです。昔は、中央は大黒柱が立っていて、家の中はよくまとまっていました。
そういえば、中国では、陰陽五行の影響で、なんでも『五○』ですね。五臓、五色、五味 、五悪、五穀、五山などなど。ついでにいうなら、五術(「卜」「相」「命」「医」「山」)というのがあり、このうち「医」をのぞいた、
●「卜(タロットや易など、偶然の事象から判断する術)」
●「相(手相、人相など、見た目の事象から判断する術)」
●「命(四柱推命など、データから判断する術)」
●「山(風水など、地形から判断する術)」
までが、現代の『占い』の分野に入っています。
これらは、昔はちゃんと分野が分かれて、それぞれのエキスパートがいたんですね。本来は別々に扱うものが、現代ではごちゃま ぜにされちゃいましたので、みなさんが、占いというと、情報が交錯して、頭がごちゃごちゃになって当然ですよね。
すみません、話が脱線しました。 黄龍の話でした。 中央に黄色いものを置くとよい、と風水ではいわれています。これは名の通り、黄龍(土気)のシンボルカラーだからです。そして、家の中の『中央の土気』を落ちつかせるのは 、家相学でも大事なことなのです。 気学では、中央の土気を『五黄』といって、特別扱いします。五黄土星年の生まれの人、 というと、「あ、私もそうだ」と思う人もきっといると思います。五黄土星は、生まれながらの社長さん。運勢的にも、他の星に比べて激しいといわれます。
みなさんは、『土用の丑の日』にうなぎを食べたりしますね。江戸時代、平賀源内が鰻屋のアピールにあみだした風習だとかいわれていますが、そもそも、『土用』というのが、体力が落ちたり、悪い気が発生する時期だといわれていたことに、その由来があります。丑もまた土気なので、ダブル土気で良くないというわけです。
土用は、春夏秋冬の狭間にある、季節と季節の間のブラックホールみたいなものです。春 が木、夏が火、秋が金、冬が水、とあてはめたら、あれれ?五行の中の「土」はどこへい っちゃったの?ということで、各季節の間に18日間ずつ、土の季節をもうけたんですね 。それが土用なんです。地方によっては、土用は厄期間としたり、家相学でも建築建墓は避けたりします。
このように、『土気』は五行の中のハグレ者です。黄龍も土気ゆえに四神から、はずされてしまったんですが、土気のパワーは『五黄土星』にも象徴されるように、あなどれません。簡単にいってしまえば、『黄龍は、はぐれメタルのように、めったに会えないけど、 ポイントの高いヤツ!』と覚えておくといいですね。
このところ、仕事がバタバタしていまして、更新が遅れ気味で失礼しています。 今日の夕刊フジのテーマは、競馬ファンの方の質問を取り上げてみました。ツキについて 書いてみました。人にはツイている時と、ツイてない時があります。とくにギャンブル好 きな方は「最近はツキがあるな」「このところツキがないな」と結果で判断できますから 、ツキというものが一定でなく、変化するものであると感じている方が多いと思います。
ツキまくっていたのに、ある日突然、さしたる心当たりもなく負け続けるようになった。 そうすると『ツキに見放された!』と、ふだん、気にもしていない占いが気になってしま いますね。ところで、ツキとは、何が付くのでしょう?ついたり、放れたりするようです が、目に見えないので、占いの出番になるわけです。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の代表のように言われることもある占いに、「易(え き)」がありますが、後漢の鄭玄の『易賛』の解説によると、易は「易簡」(たやすい) 「変易」(かわりやすい)「不易」(かわらない)の三つの意味があるといいます。宇宙 のすべては、変わるものと、変わらないものの法則性に従っており、それを簡単に数と象 徴で示してくれるのが「易」だ、という意味です。
私は実際に、占いで「易」を使うことが多いのですが、いろんな場面で経験を積んでいく と「この卦が出たときは、こういう展開になる」という、自分なりの法則性がわかるよう になります。この場合、たんに教科書通りの答えというわけではありません。教科書では 「良い卦」であるものでも、実際は展開が悪くなったりするものもあります。また、自分 と縁のない「卦」というのもあって、お客様の時にはよく出るのに、自分を占って、一度 も出たことのない「卦」があったりします。
自分なりのツキの方程式が、ジンクスとか、ゲンをかつぐ、とかいわれるものです。です から、競馬で勝ちたい、という人は、たんに気まぐれで馬券を買うのでなく、ぜひ、自分 のツキの法則性を吟味しながら、買ってみてください。そういう法則性の発見は、競馬にだけ役立つものではなく、自分の仕事や運や恋愛や、さまざまな「ツキ」を呼ぶことが可能だからです。