●「兵とは詭道(きどう)なり」
中国の名兵法書『孫子(そんし)』の言葉です。孫子は今から2500年ほど前、中国の春秋時代といわれる戦乱の時代に活躍した孫武(そんぶ)という人の書き記した兵法書といわれています。中国でも、日本でも「兵法の古典・名著」として武人の愛読書でした。
現代までその名著は、成功のための必読書として愛されてきましたが、その理由は、孫子の中に「人間の真理」が集約されているからでしょう。孫子は十三篇に編纂されていますが、その中でも、最初の「計篇」に出てくるのが「兵とは詭道(きどう)なり」の名言です。
「兵」とは「戦い」のこと、「詭道」とは、「あざむく・だます」ことです。「あざむく・だます」などというと、私たちは一般的に悪いこと、不道徳なこと、してはいけないこと、と考えがちですが、はたしてそうでしょうか?誠心誠意、真面目に世間を渡っていても、社会はきれいごとでは通りません。そんな例は、会社や取引関係、恋愛にいたるまで、そこかしこで見ることができます。人間関係は、かけひきや勝負で生きている面が多いのです。
孫子の兵法の優れたところは、「人間社会がある限り戦争はなくならない、なら、なるだけ戦争の被害を最小限に食い止めるにはどうするか」という姿勢に徹していることころです。そこで「あざむく、だます」ことそのものが「戦い」だと認知しているのです。
近年の例では、私たちが不況をひしひしと感じていたほんの数年前まで、日本政府は「経済は好況である」と公言してきました。これは実際に不況であることを国民に故意に認めなかった「あざむき発言」だったわけですが、政府が兵法の基本中の基本を実践していた例ともいえるでしょう。「不況だ」と認めた時の弊害が、より大きいと判断したためだと考えられます。
社会で生きることそのものも、「戦い」となってきた昨今です。「あざむく・だます」ことの意義も大きくなっています。もちろん、これは個人的な信頼への裏切りを意味した言葉でなく、あくまで、「相手に勝つ」ための方策です。
このことを認識しつつ、厳しい時代を生き抜いていくためには、故意の「あざむき」も必要かつ、相手からも「あざむかれる」危険性があることを悟ることも大切です。人生を、厳しく生きることで、自分自身を守ることを示唆した名言であるともいえるでしょう。
●兵は拙速を聞くも、未だ巧久をみざるなり
この言葉は「孫子」の第二章の「作戦篇」に出てくる名言です。「戦いは、下手でまずい方法でも、素早いのが一番。いくら丁寧に事を行っても、のんびりしているのが最も良くない」という意味です。ぐうたら人間の私には、耳の痛い至言ですね^^;;;;「いくらでも時間をかけて、丁寧できめ細かい仕事をする」ことは、一見素晴らしい職人芸のように思えますが、現在でも、そうしたことは一部の職業にだけ許されることで、たいていのビジネスの現場や勝負の世界では通用しません。勝負には、何より「速い」ことが優先されるのです。
たとえば未完成の企画がライバルに漏れてしまった。あなたが完璧なものを出したくてぐずぐずしているうちに、ライバルはさっさと提出、手柄を横取りされてしまった、など、よく聴く話です。恋愛なら、ぐずぐずと告白できずにいる間、さっとライバルに片思いの人を奪われてしまった、ということろでしょう。
孫子は、勝負には「勢い」が重要であることをいろんなところで語っています。ぐずぐずしている
ことはどんな優勢でも「勢い」を失うのです。そして、素早いことはどんな劣勢をも覆す「勢い」がつくというのがその論理です。だいたいにおいて「思いついてすぐに実行」する人は運の強い人が多いものです。それは、ごく小さな「勝負」に常に勝って「勝ち癖=勢い」がついているからであり、そのためにはフットワークの軽さがものをいいます。考えて考えた末に立てた計画が、思い通りにいかないのはそうした、他の素早い「勢い」がからんでいることが多いもので、これは開運法にもおおいに用いられる方法です。
あなたが今、何か着手しかかっていることで、あれこれためらいがあっても、思い切って「えいっ」と腰を上げてください。そして、それがうまくスムーズに乗ったら、そうした「勢い」の感覚を忘れないで、他にも応用してみてください。明日からの人生が変わってくるかもしれませんよ。(ぐうたらマーシもがんばらなきゃ〜〜)
●「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」
勝負、戦争といえば、勝つか、負けるか。食うか、食われるか。非情な弱肉強食の掟があると思いがちです。「兵法」は、戦争の学問ですから、なんとなく、そんな「非情さ」の学問のように思えます。ところが孫子の兵法の第三章「謀攻篇」には、この言葉があります。その意味は「戦わずして勝つ」ということです。戦う前に相手を屈服させること、孫子はこれを最善の勝利と位置付けています。
孫子は、そもそも「力ずくで敵国をぶっつぶすこと」を奨励していません。むしろ、そんな方法を愚策としています。孫子は「戦いによって人や土地が損害を受けるのを、なるだけ減らす」ことを基本にして成り立っている平和論ともいえるからです。
つまり、ケンカになる前に、ケンカのモトになる原因を絶ち、しかも自らを相手より有利にすること、これが最も最良の「勝ち」だというのです。孫武の時代は、まさに戦乱の世でした。小さな国がひしめきあって、お互いに領土を獲得しあっていました。そんな中で孫武は「戦争」の空しさ、愚かさを最も知っていたのかもしれません。
厳しい生き残り戦争の中で、「敵国を駆逐し滅ぼす」ことは最悪の勝利であって、「敵国を保全したまま勝利する」のが最善であるといっています。自分を敵より優位にしながら、敵の存在を認めるわけです。現代風にいえば、ライバルを徹底的に打ちのめすことなく、ケンカになって激突するでもなく、力のバランスを、自分の側に少し傾けさせておく、といった微妙な作戦をとることを最善としています。
なぜでしょうか?人間は徹底的に打ちのめされると、憎悪や復讐心を忘れることができません。個人でさえそうなのですから、国や会社となると、さらにそのスケールは増します。そして、それがまた新たな戦争を引き起こしたり、今度は防御のために様々な画策をしなければならな
くなります。そうなると、今度は自分の身が危うくなったり、損害に合う恐れが出てくるのです。「徹底して勝つ」のは愚策、「ほどほどに勝つ」ことが、最善という結論は、これもまた、人間の真理をついた孫子の名言中の名言と呼べるものといえるでしょう。こうした人間心理の読みの深さがあるからこそ、「孫子の兵法」は、現代まで読み継がれ、「孫子ファン」であるナポレオン、三国志の曹操、武田信玄などの傑出した人物を生み出したといえるのではないでしょうか。
世の中には、「百害あって一利なし」という言葉があります。しかし、人生の間には、こうした事態に陥ったり、やむなくこのような立場に立たされたりすることがあります。「何の得にもならず、逆に損にしかならない」という事態のことです。現代では、リストラ勧告や失業、資金繰りに困って借金など・・・恋愛なら、失恋や相手の浮気、離婚、さまざまな「悪い事態」が考えられます。
さて、こうした「悪いことにしか思えない事態」になった時こそ、その人の底力が発揮できる時です。ぜひ、この孫子の兵法の言葉を思い出してください。
●「智者の慮(りょ)は必ず利害を雑(まじ)う」
とは、意味は、「どんな事柄でも「利」と「害」をあわせて考えることが大切である。そうしてこそ、人間の智恵というものだ」ということです。人間は、こうした悪い事態になった時、だれでも、悲観的にだけ物事を考えがちなものです。しかし、兵法ではどんな厳しい局面に立っても「利」は必ずあると考えるのです。一見、失業や失恋は辛く、悪いことのようです。しかし、一方で、職場や恋愛相手の束縛からはなれたことで、自由な時間が持てたり、新しい発見や可能性が生まれてきます。「出会いがあれば、別れがある」とよくいいますが、「別れがあるからこそ、出会い」があるのです。人間関係は、よく「容器」に例えられます。ひとつ、縁が切れてしまうと、そのあとにまた縁が結ばれてくるものです。その新しい出会いは、そっちが以前の職業や恋より素晴らしいかもしれません。
逆もあります。うまい儲け話がある。一見素晴らしい話で、いいことだらけに思えます。しかし、そこに「害」が潜まないはずがありません。取引でも、ハイリターンにはハイリスクがつきものです。そこで、兵法では、必ず「利」と「害」を考えることをすすめています。「利と害」をつきあわせてみてこそ、身を守ったり、問題の打開策が生まれるというのがその理論です。
じつは、孫子はこの言葉のあとに、「だから、人を屈服させるには害だけを強調し、人を利用するためには利だけに目を向けさせて有頂天にさせる」と恐るべき「勝ちの法則」を論じています。世間ではよく、悪徳商法が横行していますが、これはこの法則を悪用したものですね。
人間関係における物事すべてには裏表があります。「利」と「害」も必ず裏表。ぜひ覚えておきたい名言ですね。
兵法を「戦争の書」と読んでいくと、あまり私たちに身近なことのように思われませんが、「人間学」として応用すると、非常に有用な内容が含まれています。
この言葉も「理想的な将軍の資質について言及したもの」とだけ考えるとピンときませんが、「成功するためのヒント」として読むと共感できるものがあります。この「五危」(五つの危険)の内容は、次のとおりです。「将軍には五つの危険がある。必死(ひっし)は殺され、必生(ひっせい)は虜(とりこ)にされ、憤速(ふんそく)は侮(あなど)られ、廉潔(れんけつ)は辱(はずかし)められ、愛民(あいみん)は煩(わずら)わされる」です。
これを自分や他人の行動に置き換えて考えてみましょう。必死は殺され…人間は必死になりすぎ、勢いや勇ましさだけで行動すると、結局は対立を招き自分を追い込むことになります。
必生は虜にされ…逆に勇気に欠け、自分だけが生き延びようと他人にへつらったり、優柔不断になりすぎると、他者につけこまれて、束縛されることになります。
憤速は侮られ…負けず嫌いで、怒りにまかせて決断を早く下すことは、結局相手の策略にまんまとひっかかり、相手に馬鹿にされてしまいます。
廉潔は辱められ…人間的に潔癖すぎて、少しでも自分に汚点があることを許せない人格ならば、その高いプライドによって、侮辱に耐えられず、自滅することがあります。
愛民は煩わされる…人に優し過ぎ、他人の立場ばかり考えてやっていると、結局他人の都合にふりまわされて、自分の貴重な時間を費やすことになり、他に思慮が行き届かなくなります。
実際、仕事や恋愛でいえば、必死になりすぎると、結局相手から嫌がられたり、うとまれたりするものです。また、保身だけを考えて行動すると、相手に手の内を見透かされて、利用させられたりするもの。そして、怒りにまかせて無茶な行動をとれば、あたりまえですが、「あいつは馬鹿だ」といわれるがオチです。また、プライドばかり高くて潔癖だと、チャンスを逃すことがあります。そして、人情家も、それが過ぎると、他人にふりまわされてばかりで、自分のやるべき道が見えてきません。これらをよくわきまえ、こうしたバランスがすべてうまくとれてこそ、立派な「将軍(人格)」で、負けることのない、勝つための人格といえるものだということです。そして、こうしたことをわきまえてないと、戦場においては、軍を全滅に追いやる原因になると論じています。つまり、実社会では、破滅の原因はこれらの人格のバランスの偏りによるものが多いということです。
ここで孫子がいいたかったのは、やはり「冷静さ・客観性」「第三者的なものの見方」の必要性ではないでしょうか。成功のためには、一時的な感情に迷わされることなく、自分自身の調和を心がけるべきだと断じています。
兵法だから、と難しく考えることはありません。今回のテーマは、かいつまんでいうと「クチコミ」がいかに重要か、というお話です。間(かん)とは間者のこと。つまり、スパイのこと。スパイなんていうと、現実社会ではおおげさですが、「重要な情報を運んでくる人」と訳せは、私たちの日常の周辺で応用できそうですね。
この文章は、「孫子の兵法」の中の第十ニ章「用間篇」にあります。戦争で何よりも重要なのは、敵情を知ることであり、敵の弱点や強みの情報を人間によって入手することだと、孫子はその重要性を説いています。
私には耳の痛いことですが、孫武の活躍した春秋時代では、「陰陽流兵法学」というものが流行していました。つまり、「占い」で敵情や未来を知る手段としたことです。孫子の兵法では、この手段を断固拒否し、「先知なる者は・・・・・必ず人知に取る者なり」と、人間の働きを通して得た情報で未来を予測することの大切さを語っています。占いをする私には、ちょっとした苦言のように聞こえてしまいます。
孫子がかくも重要視する「用間(スパイ)」には、五種類あるといいます。
●因間・・・・敵の内情を探るのに、敵国の近くにいる者から、情報を聞き出すこと。恋愛でいえば、彼・彼女の友人から情報を聞き出すことがこれに当たりますね。
●内間・・・・敵の官吏に当たる人を仲間にし、情報を知ること。企業でいえば、ライバル会社の幹部を抱きこんでおけば、内情はまるわかりというものです。
●反間・・・・こちらの情報を探ろうと、入り込んできたスパイを逆に味方にして利用すること。恋のライバルが探りを入れるために近づけてきた人を、逆に友達にしてしまって、ニセの情報をライバルに流せばあなたは有利な展開になるはずです。
●生間・・・繰り返し敵の国に潜入して情報を聞き出してくる者のことです。恋愛なら、おしゃべりで人なつっこい友人に、彼・彼女から直接いろんな情報を聞き出してもらうことが、これに当たります。
●死間・・・・この方法は最も戦略的です。わざとニセの情報を流して、それに乗ってくる敵の出方を探る方法です。
さて、孫子の兵法では、最も親密にすべきをこの「用間」だといっています。つまり、有益な情報を流してくれる人脈を最も重視しているのです。現代、戦争は情報戦だといわれていますが、二千五百年も前から、これを説いた孫子の兵法jが、おそるべき真理をついたものであることがうかがわれます。恋愛や仕事にも十分生かせる内容ですね。そこで、みなさんにひとこと。孫子はこう言っていますが、私は孫子のように「占い」に否定的ではありません。「正確な情報」はクチコミが一番なのは私も賛成ですが、「迷いの時の決断」「運気の時期」「悩み事の癒し」これらは兵法ではなく「占い」の得意な分野です。
みなさんも「占いに頼るべき時」と「人脈や人の情報を重視すべき時」のケジメをつけ、両方をあわせてつかいこなして、上手に「兵法」と「占い」を活用することをおすすめします。
孫子の兵法の第六章「虚実篇」に出てくるのがこの言葉。虚、とは弱点のこと、実とは、長所や兵力の最も充実した部分を指します。孫子では、「勝つための法則」として「実を避けて、虚を撃つ」と論じています。
私たちの周辺に応用して考えてみましょう。よく、討論などで、この応用を見ることができます。いわゆる「言い争い」で勝つためには、「相手の得意な分野については避け、相手の苦手とする部分で屈服させる」といいわけです。それを孫子の兵法では、その方法の模範となるのが「水」であるとして、
●「兵の形は水に象(かたど)る」
という名言で真理を説いています。水、といえば、今年は東洋の暦では一白水星の年となり、全国各地で水の被害が多発しました。水の怖さ、水のありがたさ、私たちは、身近にある「水」について、どれだけふだん物事を考えているでしょうか?水は、高い所から低い所に流れ落ちます。なんだか、あたりまえのことのようですが、これを自然の地形を想像しながら、イメージしてみましょう。
水は、岩の出っ張りや、突出した部分、丘陵を避けて、溝や乾いた大地の地下や、低い地に向かって、狙うようにして流れていきます。この変幻自在な「実を避け、虚を撃つ」運行が、兵(戦争・勝つための法則)の模範となるというわけです。人間も、戦争の陣形も、「完全に平坦」ということはありません。個々人も、地形も、どこかに凹凸があり、虚と実があります。
この虚実、という言葉。これは私たちが現在イメージしている言葉と違って、かなり意味の深い言葉です。中医学(漢方)でも、複雑な病理の解説に用いられます。それはともかくとして、「水」は身近で面白い流動体です。人間は70%が水分だといいますし、熱すると蒸発して消えたようにも見えます。雨水は、勢いがつけば人家や土砂を押し流し、川となり、海となっても、常に運行を続けています。
つまり「常に流動しつづけ、しかも同じ形にとどまらない」性質があり、孫子はその性質を尊んで、「水」に勝利のコツを見出したわけです。
風水でも、水は「気を運び、気を溜める」重要な役割を負います。「運」という言葉も「運ぶ」から来ています。つまり、水の動きと同じです。水は世界中の宗教で様々な浄化や清めの役割を果たしています。
だから、開運のためには、「水」は素晴らしい先生となります。とどまり、こだわることも、人生には大事なときがありますが、それも単にとどまれば腐り、単にこだわれば意固地となります。こだわりにも「変幻自在さ」があってこそ、意義が生まれてくるのです。恋愛も、単純に相手に固執するだけでは、気味の悪いストーカーになっちゃいます。ある時は花を贈り、ある時は約束の時間に遅れ、ある時はメールで愛を語って、恋はこうした「様々な手段」で、相手の気を惹いていくわけです。
私たちは水の豊かな国に住んで、どこでも水が手に入り、見ることができます。ぜひ「水」に習って、「勝ち」の法則を学んでみてください。