今週から再開することになった、新・開運コラム。先々週まで「兵法開運法」を連載していましたが、「もっと身近な開運をテーマに」とのご要望も多かったので、そのご意見に応えて、今週からテーマを、以前のようにもっと気軽な読み物に変えてみることにしました。また他にも何かご要望がありましたら、ぜひご意見をお寄せください。^^
さて、今週のテーマは世界最古の開運グッズ「ひょうたん」をご紹介します。
どことなく愛嬌のある形。「ひょうたん」は、身近でいて、最近は本物を見ることはめったにありませんね。昔は庭や畑で栽培されていたものですが、最近は酒器や薬味の容器によく見られる程度の、地味な存在になってしまいました。
さて、このひょうたん(瓢箪)、ウリ科ユウガオの一種であり、ヒサゴ、フクベとも異名があり、世界でも最古とも思われる開運アイテムなのです。中国浙江省では、七千年前の新石器時代の遺物として出土されています。原始の人々にとって、ヒョウタンは、そのまま酒や水を容れておく器として、また、半分に割って食器などの器として、重要な役割を負っていたと思われます。「ひしゃく」という言葉も、「ヒサゴ」がなまって出来た言葉だといわれています。生活用具であったと同時に、ヒョウタンは、原始宗教の意識が芽生えるとともに、呪具や魔よけ道具として神聖な道具として扱われるようにもなりました。日本書紀によれば、ヒョウタンは、水神を鎮める呪具として使用された例が記載されています。
そもそもヒョウタンは、「水」と関連が深く、現代の風水でも、「水槽」と同様に「気を貯める道具」として手軽に利用されています。各地で鎮火や水害にヒョウタンを呪具として使用する例が残されており、とくに中国では邪気を吸い取るパワーが備わっていると信じられ、ヒョウタンの絵や形のアイテムを災難よけに使用していました。
西遊記などにも、ヒョウタンが不思議なパワーを発揮する場面が出てきたりしますね。中国神話では、世界を創造した神である「伏義」や「女カ」もヒョウタンから生まれたという神話が語り継がれています。東アジア、西アフリカにも、ヒョウタンにまつわる不思議なパワーの神話が残されています。
ヒョウタンといって思い起こされるのは、日本では豊臣秀吉でしょう。千成瓢箪を馬印としていたのは有名な話。これは、秀吉が神仙思想に深く影響されていた一端を物語るものでもあります。黄金の茶室を造営したことでも知られていますが、これはたんなる「贅沢」でなく、当時「黄金」が不老不死の仙薬として用いられていたことからも、秀吉の「神仙思想」への心酔ぶりがうかがえます。
現代、私たちは、本物のヒョウタンに出会うことはまれになってきましたが、よく見るとアクセサリーやお守り、キーホルダーなどに、ヒョウタンの形をみかけることがあります。ヒョウタンの形はそのまま魔よけでもあり、風水パワーも秘めていますので、願掛けや特殊なお守りとして使用してみるといいでしょう。
じつは、私の自宅では、2年前、このHPを作成するにあたって、玄関にヒョウタンを開運法としてつるしてみました。現在の盛況ぶりも、ヒョウタンパワーのおかげなのでしょうか?そうだとすれば、ヒョウタンには偉大なパワーが宿っているかもしれませんね。ちなみに、ヒョウタンをつるす数は、3の倍数がよいとされています。さて、あなたも「古臭い」と敬遠せずに、このありがたい開運アイテムを、身近に置いてみてはいかがでしょうか?
澄んだ夜空に星のまたたきが美しい季節となりました。「人は死ぬとお星様になる…」そんな話を聞かされた子供の頃を覚えています。先日から、プライベートで訃報が相次ぎ、ふと夜空を見ながら、亡くなった方のことを思い出したりしています。本日は「星」のお話です。
現在、西洋占星術や星座といえば、だれでも「私は○○座」と答えるように一般的なものになりましたが、もともと日本には体系的に星神信仰は存在しませんでした。北極星、北斗七星を信仰対象として展開した占星術は、推古十年(601)百済僧観勒によってもたらされたものだといわれています。占星術の系列は主に2つの系統があり、中国の道教の影響を大きく受けた「陰陽道」と、仏教として伝わった「密教」が、その「日本占星術」の伝統を今に伝えています。
陰陽道では中国の星辰信仰を背景にして、方術として奈良・平安時代の隆盛をみ、安倍晴明から土御門神道へ展開しました。密教ではインド占星術の影響を受けた「宿曜経」(二十八宿・七曜)から密教星辰信仰(天台・真言)へと展開しています。つまり、古代・中世の日本では、占星術は、陰陽道と密教の二種類が同時に行われていたわけです。
中国では「天皇大帝北辰星也」と古典にあるように、「天皇」の呼び名はここから生まれています。つまり、これが日本に伝わり、天皇=北極星・北斗七星の信仰が定着していきました。一方で、北極星・北斗七星を信仰対象として「妙見信仰」が流布され、貴族や武士などの特権階級の人々の信仰から、広く民衆に浸透していきました。現代に残る星の祭礼や儀式、神社仏閣の祭り、星のマークの魔よけ、呪符などは、こうした伝統を引き継いだものです。
みなさんも「妙見様」「妙見菩薩」という言葉を聞いたことがあるでしょう。妙見菩薩は、北極星と北斗七星が神格化されたもので、とくに北斗七星のひとつの星「破軍星」は武士の間で信仰を集めることになりました。ちなみに、北斗七星は、生まれた干支によって守護星(本命星)がありますので、ご紹介します。
子年生まれ…貧狼星、
丑亥年生まれ…巨門星、
寅戌年生まれ…禄存星、
卯酉年生まれ…文曲星、
辰申年生まれ…廉貞星、
巳未年生まれ…武曲星
午年生まれ…破軍星、
となっています。私たちは、なんとなく星を見ながら、「お星様に願い事」をしていますが、こうした守護星に願いをかけると、思いが叶うかもしれませんね。
また、余談ですが、月に願い事をかける場合は、中国の唐時代まで盛んに行われていた「拝新月」をおすすめします。主に女性が願いをかけるときの方法ですが、新月に願いをかけ、満月に叶う(満願成就)という、単純な原理です。古代の女性は生理的な意味もあって、満月をめでるより、新月の方を重視した文献が多く残されています。女性のみなさん、夜空への願い事は、満月でなく新月に行うことをおすすめします。
私たち日本人の年中行事として、不思議にも定着してしまったクリスマス。街は今、クリスマスムードでいっぱいですが、さて、あなたは今年のクリスマス、だれと祝いますか?
クリスマスといえば欠かせない存在のサンタクロース。子供たちに夢をプレゼントして、家々を回る気のいい、白髪のおじいさん。そのモデルとなったのは、現在のトルコに実在した司祭「聖ニコラウス(西暦271〜342)」だといわれています。「セントニコラウス」がなまって、サンタクロースになったというのが定説です。
聖人ニコラウスは、飢えた民衆に小麦を分け与え、船乗りや女性、子供の守護聖人として有名です。また、次のような伝承が残っています。貧しい人の家の暖炉につるしていた靴下に、聖人ニコラウスが金塊を投げ入れて、売られていく三人の乙女を救ったそうです。これが、靴下にプレゼントを入れるようになった起源とされています。
さて、サンタクロースにつきものの、トナカイ。現在のトルコにトナカイがいたわけではありません。これは、北欧諸国が自らを「サンタクロースの国」と自称するだけあって、聖ニコラウス信仰の裏には、ヨーロッパの土着の民族信仰である、北欧神話の神々が統合されているからです。ヨーロッパでは、聖ニコラウスの祭りは12月6日に開催されますが、この祭りは日本の「ナマハゲ」の風習に酷似していて、聖人が鬼を連れていき、各家々の子供を脅して巡ります。よい子には褒美を与え、悪い子には、罰を与えて回ります。
このように、正月前後に家々を回る鬼神たちは、民俗学的に見ると、新しい年の変わり目(冬至を含む)に、翌年の豊穣や収穫を祈って行われる祭礼にあたります。聖ニコラウス祭も、その一つと考えられています。この時期、北欧神話では、主神オーディンが、神々を引き連れて空からこの世を訪問するいわれています。こうした北欧の鬼神信仰が、聖ニコラウスと統合して、現在のサンタクロースの原型ができあがったわけです。ちなみに、北欧の神々の名は主神オーディンがWednesday(水曜日)の語源となり、雷神トールがThursday(木曜日)、豊穣神フレイがFriday(金曜日)の語源となっており、身近な存在となっています。
サンタクロースが、「トナカイの橇に乗って、各家々の煙突から降りてくる、赤い毛皮と大きな帽子に身を包んだ、白髪の老人」、という現在の姿が定着したのは、アメリカの神学者の一遍の詩によるものです。1822年、ニューヨークのクレメント・ムーアという神学者が、「聖ニコラスの訪問」という詩を発表し、そこに描かれた姿が、詩の爆発的なヒットとともに、そのまま現在のサンタクロースの姿として後世に語り継がれることになりました。
一方、日本で最初にクリスマス祭が行われたのは、1552年のこと。キリシタン大名であった守護大名、大内義隆によって、山口の教会でおごそかに行われました。日本で最初のサンタクロースは、明治六年、キリスト教禁止令が解禁されると、各地にミッションスクールの女学校が創設され、そこで和風のサンタクロースが登場したという記述があります。その後、クリスマス祭が大衆化したのが、大正から昭和初期にかけてです。クリスマスが日本で年中行事化されたのは、この頃からになります。戦前、戦中に廃れた後、戦後になって、再び日本のお祭りとして定着し、現在に至っています。
さて、もちろんクリスマスはキリストの生誕を祝う行事なのですが、キリストの実際の生誕は不明とされています。冬至の行事が、キリストの生誕として結びついたものだと考えられています。サンタクロースとクリスマスは、元はまったく別々のものであったのに、季節儀礼として統合され、現在の形になったわけです。年の変わり目の儀礼を大切にする日本人に定着したのも、そうした季節儀礼の意味が備わっているからではないでしょうか。
時を経て、いつのまにか創造され、生き生きと現代に受け継がれたサンタクロース伝説。私たちはがクリスマスにプレゼントを交換しあうのも、サンタクロースのあの大きなプレゼント袋からの賜物です。今年のクリスマス。あなたもサンタクロースのような気持ちになって、家族や恋人や友人に、愛と友情のプレゼントをしてくださいね。
ついに2000年の幕開けとなりました。みなさん、明けましておめでとうございます。今年もかなりマイペースの予感の新年となっておりますが、じつはわたくし、なんと、近日中に手術・静養をせねばならない運命のようで、ちょっと気落ちしている毎日なのでございます。なんのことはない、口腔外科の手術なんですが、歯茎をかなり切開せねばならなくて、大学病院で行うてはずとなっております。ううう〜お正月そうそうシンキクサイ話でまことに失礼いたしました。
今年のお正月はそんなわけで、歯をかなり気にしながらお雑煮をいただいたのでした。お雑煮といえばお餅、お餅といえばモチ米ということで、東アジア一帯に存在するモチ米文化の中で、日本のモチ文化は「ハレ」と非常に深いかかわりがあります。
みなさんは「ハレ」と「ケ」という言葉をご存知でしょうか。ハレとは神事や祭りなどで特別な状態になったこと、ケとはごく普通の日常のことをさす日本古来の言葉です。結婚式などで「ハレの日」というのはここから来た言葉ですね。そのハレの日にお餅は特別につかれて食べられる食品です。
民俗学者の柳田国男は、餅を「心臓の形に模したもの」と定義づけて、ハレの行事にかかせない力餅の研究をしています。もちろん、お赤飯もモチ米を使った「餅」の一種であり、うぐいす餅、桜餅、おはぎ、などなど、餅を食べる風習と年中行事の重要な日が重なってて、日本では、餅を食べると神のエネルギーを得られると信じられてきました。
こうして日本の農業や年中行事とも密接な関係を持った餅は、古くから稲作を行ってきた日本文化の象徴でもあります。ところで、餅の原料である稲には、ウルチ性とモチ性のニ種類があり、ウルチは私たちが日頃口にするお米など、さらりとした食感の種のことです。モチイネはもちろん「餅」の原料となる種のことで、古来からモチイネの藁は、質がよく、注連縄(しめなわ)の藁としても用いられていて、その神聖性が明らかです。
モチ性の稲は、稲作が日本に伝わった当初からあったと考えられていて、粘着性のある食感は、現在でも餅やおはぎ、あられ、白酒などにも用いられていて、日常に欠かせない食品となっています。また、力餅といわれる餅については、日本全国に様々な伝統が残っていて、出産時などに食べる風習を残している地域も多く、いずれも食べると元気が出てくるというありがたい食品となっています。
何かお祝い事があればお赤飯…という風習は、みなさんの家では残っているでしょうか。最近は、お手軽にレトルトパックで売っていたりしますが、みなさんも何かいいことがあったとき、特別な神聖な日と思うとき、ハレの日に、ぜひお赤飯やお餅を食べてみてくださいね。モチに込められた神聖なエネルギーが、あなた自身に宿ることでしょう。
先週は口腔内手術のため、コラムをお休みをさせていただきました。手術も厳しかったですが、後遺症も意外に厳しかった・・・口腔を縫合していたので、食べたいものが食べれなかったのは、食いしん坊の私にとって、つらい日々でした・・・でもまたあるんですよね、二度目の手術。目や耳や肩にあとで影響が出てきて、しばらく変な感じでした。次もがんばらなくちゃ。
そんなわけで、あくびをしても、くしゃみをしても痛い日々が続いたのですが、本日は「くしゃみ」のおまじないについてのお話です。まもなく花粉症の季節。くしゃみで悩む人も多いことでしょう。
現代では「風邪かな?」くらいにしか考えられない「くしゃみ」も、昔は不思議な生理現象として、とらえられてきました。ドイツのことわざにこんなものがあります。
「くしゃみをひとつすると、凶。二つは吉の知らせで物をもらえる。三つは幸運が約束される」
日本では丹波のことわざにこんなものもあります。
「一ほめられ、ニ笑われ、三そしられ、四風邪ひく」
くしゃみをすると、「噂をされている」と現代でもいわれているのは、ここからきているようです。一般的に西洋では昔、くしゃみは、悪魔が名前を呼んだ証拠(死の指名)としていて、不吉なものとしてきました。そのため、「神よ、助けてください」とおまじないを唱えたようです。これは日本でも同じこと。くしゃみをすると死ぬ、と考えられていたふしがあり、日本では「くさめくさめ」とおまじないを唱えることで不吉を解消していたようです。(徒然草)
医療の発達していない時代のことだったからかもしれません。古代では、風邪が命取りになりました。だから風邪をひくことは、死と直結していたのです。くさめとはくしゃみの古語ですが、もとは「糞食(は)め」がなまった言葉。くしゃみは元々「鼻ひる」と呼ばれていて、くしゃみに対して「くそくらえ」といっておまじないを唱えたのが、後に「くさめ」となまって、それじたいがくしゃみを指す言葉になったものだといわれています。
それにしても、不吉で「死ぬ」とまでいわれる現象に「くそくらえ」とおまじないを唱えるとは、意外に古代の日本人も反骨精神があったものですね。何でも「不吉だ」といわれると、あせって、占いや霊感に頼って解決法を探し回る現代人よりも、健全であったのかもしれません。ただ、これは民俗学者の柳田国男説。もうひとつの説では、くしゃみをしたら「休息万病」と唱えていたのがなまって「くさめ」となり、それが「くしゃみ」となったのだという説もあります。
ある時突然、何のまえぶれもなく起こる「くしゃみ」。それは、不運の象徴といえたのかもしれません。その不運に対して「くそくらえ」と言って不運を退治する考え方は、ちょっと見習いたいものがありますね。そうした気構えや負けん気は、さまざまな開運法よりも、ずっと効果が強いのかもしれません。
みなさんもこの季節、風邪や花粉症に負けないで、「くそくらえ」精神で乗り切ってくださいね。
コラムのアップがちょっと遅れたり、今月の風水占いをさぼったり、あいかわらずぐうたら人間ぶりを発揮しているわたくしですが、パワーストーンギャラリーでは、フェアも大盛況でありがとうございました。また、先月の手術については、いろいろとご心配、お見舞いのメールをたくさんいただきまして、ありがとうございます。今月に入ってからは、さすがに手術の傷跡も癒えてきました。ちまたでは悪性のインフルエンザなど流行っているようですが、私はいまのところその兆候もなく、元気に毎日をぐうたらと過ごしております。(パチンコではフィーバー続きでご機嫌なのよ〜)
毎日寒い日が続きますが、みなさんはいかがお過ごしですか?そろそろ春の気配も見えてきてて、就職や進学など、あらたな環境迎える人も多いのではないでしょうか。そこで、今週は開運メイクアップについて、とくに眉のメークについてのお話です。開運メイクの中でも、眉はことのほか、いろいろと変化をつけることのできる場所といえます。顔型や目の大きさは変えられなくても、眉の形を変化させるのは、簡単です。よくお客さまから、「どんなお化粧法で運がアップしますか?」とご質問をいただきますが、まずは眉をきれいに整えること。これから始めましょう。
「面白い」という言葉があります。これは、平安期の暗い家屋の中、中国から渡ってきた「おしろい」で顔が浮き上がって見えることから、明るく晴れ晴れとした様子を指す言葉として現在も日常に使われています。昔、お化粧はそれじたいが特別な時にしか用いられない、神との交流や祭事、喜び事に用いられていた、呪術や開運法の一種といえるものでした。中でも眉の形は、さまざまな流行を生んで、みなさん平安絵巻などでおなじみの、額のぼかし眉など、日本独自の文化を生み出しました。
そもそも、お化粧法の中で、「眉を引く(眉を剃ってまたは抜いて形づくる)」方法は、古代から、呪術やまじないの意味がありました。万葉集では眉について何首かの和歌がありますが、
「眉根掻き誰をか見むと思ひつつ日長く恋ひし妹に会へるかも」(眉を掻いて、誰に会えるのかと思っていたら、長く恋い慕っていたあなたに会いました)
など、「眉がかゆいと好きな人に会える」「好きな人に会うために眉を掻く」ということが日常で信じられていました。つまり、眉は幸運の予兆やおまじないによく用いられたのです。
「眉つば」というのも、その一種。「眉毛の本数を狐に数えられると本心を見透かされて化かされる」といういわれから、眉につばをつけて、濡らして、本数を数えられないようにしたというのが「眉つば」のルーツです。不快を感じることを「眉をひそめる」ともいいますが、眉は人間の第六感と非常に関係が深そうですね。
歴史的に、最も眉文化が花開いたのは、江戸時代。糸眉、大眉、横眉、棒眉、鶯眉、本眉、岸立眉など、様々な眉が流行しました。現代でも、人気アイドルの眉は常に注目の的ですが、やはり開運の眉といえば「三日月眉」をおすすめします。三日月眉とは「柳の眉」ともいわれて、「美しい眉」のこと全体を意味していて、たんに三日月型の眉をさしているわけではありません。つまり、眉を美しく整えることは現代でも立派な開運法につながるというわけです。
開運メイクは、まずは眉から。眉を整えずぼうぼうにはやしていると、運気はアップしないのです。これは女性に限らず、男性の方も、ぜひ行って欲しい顔の開運法といえそうです。とくに恋愛運には効果絶大のようですから、恋するみなさん、眉の形を整えて恋の成就をめざしてくださいね。
先日、鑑定依頼のお客さまから「鑑定のページがわかりにくい」というご意見をいただいて、トップページをちょこっと変えてみました。占いのサイトなのに、肝心の占いの方法がわかりにくいのはイケナイですね。コラムも増えすぎてタイトルが多くなったので、新ページに移行。もっとわかりやすいトップページを作らなくっちゃ。(デザインがダサいのは完治の見込みなし・・)
そんなわけで、右へ左へ、カーソルを移動させまくっているわたくしですが、今週は右と左のお話です。3月3日は桃の節句。あなたの家ではお雛様を飾っているでしょうか?ここでちょっと質問。男雛と女雛、どちらが左(向かって右)に座っているでしょう?答えは女雛です。
ただし、京風雛の場合は、逆になっているものがあります。京風雛は、平安時代からの古式を継承して、左を上位としているため、男雛が左にきているのです。古代も現代も男性が優位の社会。女性の祭りである雛飾りにも、男尊女卑の風潮が残っているなんて、ちょっと気に入りませんね。じつは左が上位というのは、現代の「左が女雛」、という形式も間違ってはいません。これは、現代、女性が男性よりエラクなったというわけではなく、別の理由からです。雛飾りのルーツとなったのは、徳川時代、二代将軍秀忠の娘である東福門院和子が、その娘の女性の天皇である「明正天皇」のために作ったのが始まりです。そのため、女帝として、地位が最も上位、ということで女雛が左に来るようになったものが、伝統的に継承されているからです。
ただ、左遷、左前、など、左にはマイナスイメージの言葉が古くから残っています。一方、右には右に出る、右腕、などプラスイメージの言葉がありますね。右上位の考え方は、中国の漢の時代の名残。ですから、「漢」字には右上位の思想が数多く残っているわけです。
ところが時代が流れて唐の時代になると、左右の地位が逆転します。つまり、左の方が上位、という考え方になるのです。日本の文化は唐時代の影響を強く受けているので、平安時代では、左大臣は右大臣より上位、舞台などでも、左が「かみて」、右が「しもて」、といわれるようになりました。日本ではこれが現代まで、伝統文化の中で継承されつづけています。
中国では、また時代が流れて「宋」から「元」の時代になると、再び左右の地位は逆転。また「明」「清」の時代には再々逆転。めまぐるしく変転して現代に至っています。
ところで、現代、結婚式では、新郎が右に立ち、花嫁は左に立ちます。これは西洋式にのっとった、明治から始まった比較的新しい並び方。西洋では一般的に右が上位の考え方が普及しているからです。左利きの人には不愉快かもしれませんが、ラテン語で右は「好ましい」左は「好ましくない」という意味があります。ヒンズー教でも、左手は不浄の手。やはり、結婚式でも男性は優位ということで、右に立つわけです。
日本では、伝統的に左上位の風習が数多く残っていますが、右上位の西洋式の考え方も明治以来普及してきて、渾然としているのが現状です。右肩上がりに開運したい方、右を選ぶべきか、左を選ぶべきかと悩んだら、あなたならどっちを選びますか?!