先日、「日刊ゲンダイ」さんから取材を受け、「孫子のビジネス戦略」についてお話をする機会がありました。日刊ゲンダイさんといえば、長くお世話になった夕刊フジさんとは二大夕刊紙のもう一方。電車の中でも、中高年の男性といえば、「日刊ゲンダイ」か「夕刊フジ」を読んでいる風景をよくみかけます。
記者の方も「ライバル紙ですが、ご協力いただけますか?・・・・」とまず自己紹介をされたほどですから、この二大夕刊紙は、読者層も同じ、形態も同じ、互いにしのぎをけずる、意識しあうライバルの間柄のようです。記者の方の目に、私の孫子の記事がわかりやすく、印象が深かったそうで、今回の取材となりました。この取材記事、明日火曜日か、明後日の水曜日に特集で掲載されるようです。みなさん、「日刊ゲンダイ」、ぜひ読んでみてくださいね!そういうわけで、開運グッズネタも、かなりつきてしまったこともあって、なんとなく中断していた兵法による開運法をまた再開してみようかな、という気になりました。
今日は孫子の言葉の中でも、かなり有名なこの言葉
●彼を知り己を知れば、百戦して危うからず
について解説してみたいと思います。
この言葉は、孫子の第三章「謀攻篇」の締めくくりの言葉です。ここでは、孫子は「勝利を予知する5つの法則」について述べています。
第一に、戦っていいときと、戦ってはいけないときの分別がついていれば勝ち。
これは、私たちの身近な人間関係の中でもいえることです。物事にはすべて時期とタイミングがあります。恋にもタイミングがあり、相手が他の異性に夢中になっていたりしたら、アタックをしても振られる可能性が高いので、時期を待つ分別があれば、またチャンスも巡ってきます。分別があるかないかで勝敗が分かれます。
第二に、兵力の運用法をよくわかっていれば勝ち。
これは、自分のチカラ、長所、短所などを、うまく使うことが出来るかどうか、ということですね。営業にしても、フットワーク軽く知らない営業先でもどんどん行ける人、地道に紹介やつてを頼って営業先を回る人、などタイプが分かれます。そうした自分の個性がわかっていれば、戦略の立て方もおのずと決まってきます。
第三に、上下の意思統一がなされていれば勝ち。
企業戦略にしても、上司と部下とで意見がちぐはぐでは、成功するはずがありません。
第四に、計略を仕組み、それに乗じてくる敵を待ち受ければ勝ち。
宣伝や広報を試みて、消費者の心をうまくとらえることができると、販売戦略は大成功です。
第五に、将軍が有能で、君主が口をはさまなければ勝ち。
上司がいろいろと口をはさまず、のびのびと仕事を任せてくれたら、十分にチカラを発揮することができます。
そして、それらを締めくくる言葉として、彼を知り己を知れば、百戦して危うからず、と続いています。
彼、とはもちろん「敵」のこと。戦うのに、敵を知らないで勝てるはずがありません。試験勉強にしても、営業戦略にしても、恋愛にしても、立ち向かう相手の「傾向と対策」を調べ上げ、対策を練ってから戦いに挑みます。相手のことを何も知らないで、やみくもに立ち向かうことは、最初から「負ける」に等しいことですね。
また、もうひとつ重要なことは「己を知る」ことでしょう。自分の力に応じた戦いをすることは、受験や資格試験でもいえることで、自分のレベルにあわせた目標を置くことで、達成する可能性が高くなります。
今の時代、勝利するというよりも、「生き残る」ためにさまざまな戦いが繰り広げられています。どんな小さな戦いでも、私たちは常に「勝っていくこと」を意識していきましょう。今は、ただ何も考えずに「生き残れる」時代ではないのですから。
この言葉は、第四章の「形篇」に出てくる言葉。本当に優れた戦いというのは、、「奇抜な勝ち方で世間をあっと驚かす」でなく、「名声をはせる」こともなく、「よく勝った、立派だ」と誉められることもない勝ち方である、という意味です。
では、孫子はどんな「勝ち方」こそが「優れた勝ち方」であるといっているのでしょう。戦闘以前に、すでに絶対的有利をかためた上で勝つ。戦闘を行えば当然勝つ状態を作った後に勝つ。そのことが、「優れた勝ち方」だといっています。つまり、まったく危なげなく勝てる体制を作る人こそが、「優れた兵法家」だと言っているのです。
だから、だれもが勝つのが当たり前、と思われる勝ち方をする人には、名声も、劇的な逆転ドラマもなく、誰にも誉められることのない、地味な「勝ち」をおさめることになります。誰からも省みられず、目立ちません。しかし、それこそが真の「勝者」なのです。
まもなくシドニーオリンピックですが、たまたま、まぐれのように勝った人ほどヒーロー扱いされ、「勝つのが当たり前」と思われている人ほど、勝っても感動は薄いもの。しかし、後者こそが真の勝者であり、優れた勝者であることを孫子は説いています。
私たちの周りを見回して見ましょう。なんとなくうまく物事が回って、挫折がないように思われている「ラッキーな人」をときどき見かけます。これは単なる「ラッキー」なのでしょうか。裏で上手に立ち回り、表立つことなく、争いになることを上手に回避して、その努力の末に幸運を勝ち得ているといえるのではないでしょうか。日々のちょっとした気配りや、観察力で、自分の有利の立場を常に勝ち得ている人こそが、私たちの周辺の「真の勝者」といえるのです。
ドラマチックに恋に勝利をおさめたとしても、思わぬ抜擢で出世した人も、勝ちは勝ちでも「うまく勝ったな」と思われる勝ち方は、孫子にいわせると「まずい勝ち方」です。結果としてねたみを買ったり、足を引っ張られたりします。最近芸能界をにぎわしている近藤サトさんは、ドラマチックな恋で梨園に嫁ぎましたが、いろんな事情はあったのでしょうが、結果は早々とした離婚で幕を下ろしました。
誰にも、誉められず、勝つのが当たり前の状態を作る。これは、やはり並大抵の才能や努力ではないのです。しかし、私たちもできるだけ「ラッキー」な人になるために、常に自分を有利な立場に置くことに、心を砕いていきましょう。そうすることによって、人から褒め称えられたり、ドラマチックに生きることはなくても、平和で「勝者」の人生を送ることができるのです。
人と人の争いの様子を見ると、みなさんは「なんだか嫌だな、醜いな」と客観的に感じませんか?とくに、誰かが、相手を攻撃しようとやっきになって、自分まで泥まみれに汚名をきてまで喧嘩をする様子を見ると、人間の醜さばかりか、攻撃する側もされる側も、周囲の者たちは、ついついさげすんで見てしまいがちです。一度そうした争いを目撃してしまうと、人間はその人を以後偏見に満ちて見てしまうことになりますね。そうなると、どんなに正しくても、正当な理由があったとしても、争いを周囲に見せてしまった人は、結局は損をすることになります。
そうした心理を巧みに読みとり、自分の保全を第一に考える「孫子」は、「上兵は謀を伐つ」と説きます。意味は、「争いになる前に、敵の策略を封じ込めることが、戦いの最高の方法である」ということです。争いが避けがたいことであっても、表面上で争いを起こす前に、相手が攻撃をしかけてこないように謀略を断ち切るのが、最善の策であるといいます。これは一見平穏を保ちながら、水面下で激しい攻防戦が繰り広げられていることですから、実際は激しい頭脳戦が展開されていることになります。
この「上兵は謀を伐つ」は、謀攻篇の「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり」(実際に戦闘する前に、敵を屈服させる作戦がもっとも最善の勝利である)に引き続いて孫子が語る名言です。孫子はこのあと「次によい方法は、敵とその友好国との同盟を断つ方法であり、その次によい方法は、敵を野戦で打ち破ることであり、最も愚策は、敵の城を落とすことである」と唱えています。
例えば、あなたとライバルが衝突しそうになっているとします。相手はさまざまな謀略を企てて、あなたの仕事をを妨害してきているとします。あなたを中傷したり、上司にあなたの悪口をいいふらしたりしてきます。あなたはかっとなって、ライバルと全面戦争を引き起こしてはいけません。ライバルの謀略をひとつひとつ丁寧につぶしていくのが「上兵は謀を伐つ」です。
そして、それでどうしようもなくなると、相手を孤立させる作戦を立てます。これが次の策です。ライバルを味方している人々を、引き離す作戦です。それが失敗したら、次は三番目の策、全面戦争に突入です。正々堂々とライバルと会議や議論で戦います。ただ、まったく愚策なのは、途中で戦争を放棄して引きこもってしまったライバルを、攻め立てて、相手を徹底して打ちのめす方法です。これではあなたの味方にも、見放されてしまう危険があります。自分を傷つける方法を、孫子は愚策であると断じています。
戦いは、感情や勢いに乗ってしまうと、ついつい引き下がった相手を追いかけてまで、争いを続行してしまいがちです。そのとき、自分を抑える冷静さが「愚行」か、そうでないかの分かれ目です。感情を優先して徹底的に相手を追い詰めると、決してこちらも無傷ではいられません。私たちは、この孫子の言葉に、「客観的判断とその行動」の大切さを読み取るべきではないでしょうか。
今週はお盆でメルマガ「まぐまぐ」さんがお休みでしたので、更新が遅れて失礼しました。残暑厳しいですね。みなさんはお盆はどう過ごされましたか?私はお休みなしで、打ち合わせや仕事に忙しい毎日でした。夏バテ気味ですが、食欲だけは旺盛です。毎日ビールばかり飲んでおります・・・ああっ、ダイエットをせねば、オフ会でみなさまに会わせる顔(腹?)がありません〜^^;;。「パワーストーン占い」もオープンして、ますます多忙になってきた今日この頃です。
さて、今日の兵法開運法は、第一章の計篇、「兵とは詭道(きどう)なり」の次に出てくる名言。「算多きは勝ち、算少なきは敗る」です。この言葉は、「計篇」を締めくくる重要な言葉でもあります。
この言葉を、ある会社で開発中の、商品の販売として考えてみましょう。私たちは会社で「販売戦略会議」など、会議を行いますが、そのさい、「本当にこの商品は売れるのか、どうすれば売れるのか」とさまざまな意見を戦わすと思います。そのときに、十分な宣伝費があったり、営業ルートが確立しているなど、非常に有利な条件がきちんと整っていれば、その商品は売れると見込まれ、十分な宣伝費もなく、営業ルートもない場合は、その商品は売れる見込みはないと考えます。これが、算多きは勝ち、算少なきは敗る、ということです。実際に、TVや雑誌で大々的に宣伝した商品と、まったく宣伝しない商品では、売れ行きに明らかな勝敗が現われるのは、間違いありません。
この場合に用いられる算、という言葉は、非常に冷徹な客観的判断と解釈すべきでしょう。「頑張って売ればいい」「根性を入れて販売先をみつけよう」などの精神論でなく、まさに「計算」です。ここには「数」があるだけで、メンタルな部分は存在しません。人間は、期待や希望から、つい感情的になって「計算」を忘れることがあります。「頑張ればなんとかなる」と、勝算もない戦いにむやみに立ち向かいがちです。孫子は、最初の第一章から、それを戒めているのです。
これは、「勝つはずのない戦いには挑むべきではない」という諦観ではありません。人間には、負けると分かっていても戦わねばならないときもあり、運によってはまぐれで勝ってしまうことさえあります。孫子は、ここでは「算」という、今でいうコンピューターによる結果予測を重要視して、負けるという計算結果が出たら負ける、勝つという結果が出れば勝つ、という事実を、会議の上でも真摯に受け止めるべきだとと言っているわけです。
人間にとって「算」の結果は必ずしも自分の期待通りではありません。だからこそ、作戦会議の以前から、「計算上でも勝てる」ようにさまざまな企てを図っておく必要があることも、暗に示しているのではないでしょうか。販売ルートもない、宣伝費もない状態で、そもそも戦略会議を開くこと自体が、すでに遅いのです。まず地道に販売ルートや宣伝費を確保する努力をして、勝算が立った上で、商品を販売することが先決なのです。みじめな「算」の結果を見る前に、そうならないための日頃の行い、努力を怠らないことを、孫子はここでも強調しています。
そういえば、私も最近「もっと早く作戦を立てて、動いていればよかった」と思うことがありました。ぐうたらものの私は、常日頃「なんとかなるわい」の日和見主義なので、せっぱつまらないと、なかなか腰を上げることがありません。でも、結局、動くのが遅かったために、仕事の見込みが立たない、つまり勝算が低くなってしまったのです。孫子を解説しながら、反省しきりの我が身なのでした^^;;;